その時歴史が動いた〜ジャンヌ・ダルク〜

たまたまTV欄でジャンヌの名前を見つけ、始まったと同時くらいに慌ててチャンネルをNHKに合わせました。

世界史を学んでいた学生時代にはジャンヌに対し特に興味も関心もありませんでした。教科書でも百年戦争がらみで名前が一度さらりと出てきただけで特に詳しい記述もなかったし、それほど受験勉強にも関係なかったような気がします(期末テストくらいには出た気もするが)。
いつだったか、テレビ放送されていたリュック・ベッソン監督の映画「ジャンヌ・ダルク」を何気なく観て、ものすごい衝撃を受けました。感動したというわけじゃなくて、どっちかというとその逆です。とことん落ち込んでひらすら暗くなってしまいました。はっきり言って鬱状態
ハッピーエンドが好きな私にとっては、ああいう答えの出ない最期というのはどうにも解せないんですよ。怒りや悲しみ、疑問、そして恐怖心。そういうマイナスな感情でぐちゃぐちゃになっちゃうというか。
もう何をしてもこの映画のことが頭から離れなくて、考えたくもないのに始終ジャンヌのことばっかり考えていました。
なんのために彼女は生まれてきたんだろう?
ジャンヌは本当に神の声を聴いたのだろうか?
どうしてあそこまで戦えるんだろう?
何故彼女は火炙り(なんて惨い、残酷な刑・・・!)にならなければいけなかったんだろう?
そんな押し問答を脳内で繰り返し、そんな嫌悪感を払拭するためにネットなどでジャンヌについていろいろ調べたりもしました。でも調べれば調べるほど余計にわけわからなくなったり理不尽になったり。そんなことが数ヶ月も続き、そのうち滅多に思い返すことはなくなったものの、それでもふと彼女の名前を思い浮かべる度に溜息が出たりしていました。
(あー、なんでこんな映画観ちゃったんだろうって後悔したのは「刑法第三十九条」ぶりです。)
そんなジャンヌに対するマイナスイメージをとっぱらってくれたのは、何を隠そう秋里和国弐の「「ボン・クラージュ!乙女」という漫画です。これは女子高生に転生したジャンヌダルクの話で、ラブコメっぽく始まるんだけどやっぱり歴史に合わせてどんどん内容は深く真面目な話になっていきます。しかしさすが漫画というか、秋里氏の大胆な仮説によりラストはその後に続くストーリーを匂わせて余韻を持たせつつもとりあえずハッピーエンド?で終わるのです! 神の愛、ジャンヌの愛、シャルル7世の愛というその三角関係ともいえる仮説のおかげで、私の中で惨いとしか思えなかったジャンヌが救われ、同時に私も救われました。いい意味でこの漫画が頭から離れず、続けて4度読み直したほどです。秋里先生、本当にありがとう・・・。あぁ、やっぱり漫画っていいですね(T_T)

というわけで、NHKその時歴史が動いた第148回ジャンヌ・ダルク戦いはわが愛のあかし〜裁判記録が明かす聖女の真実〜」は不安因子なく平常心で観れました。
歴史的事実と照らし合わせて淡々と語られるジャンヌは聖女ではなく一人の勇気ある少女でした。矛盾だらけの時代のせいで火刑に処せられたものの、彼女を信じ、彼女に救われた民衆がたくさんいたという事実が全てを悲劇には終わらせませんでした。
彼女がいたから今のフランスがある。もちろん彼女のためだけではないけれども、少なからず彼女の影響はある。
それだけで短かった彼女の人生に十分な意味があったと思います。

ジャンヌダルクの映画を観て私があれだけ鬱に陥ったのは、リュック・ベッソンがいけないんだと気付きました。エキセントリックにジャンヌを演じたミラ・ジョヴォヴィッチもいけない。井筒監督あたりに軽くリメイクしてもらいたいものです。

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